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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)6857号 判決

原告 山本積盛

右訴訟代理人弁護士 山崎清

被告 田中よし

〈外四名〉

右被告五名訴訟代理人弁護士 安藤信一郎

被告 水上米

主文

被告水上米は原告から金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けるのと引換に原告に対し別紙目録記載の土地について昭和三五年一月一四日の売買にもとずく所有権移転登記手続をせよ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告と被告水上米との間に生じた分については被告水上米の負担とし、原告と被告田中よし、同田中竜市、同田中竜蔵、同藤木千代子、同西山美恵子との間に生じた分については原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告田中よしは、原告に対して、別紙目録記載の土地(以下本件土地と略称する)につき、東京法務局練馬出張所昭和三五年五月九日受付第一四〇九八号をもってなされた同年二月二九日贈与による所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。被告田中よし、同田中竜市、同田中竜蔵、同水上米、同藤木千代子及び同西山美恵子は原告から金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けるのと引換に原告に対し別紙目録記載の土地について昭和三五年一月一四日の売買にもとずく所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は被告等の負担とする」との趣旨の判決を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。

(一)  原告は別紙目録記載の土地(以下本件土地と称する。)を、故田中義三郎から昭和三五年一月一四日、代金一一〇万円で買受け、代金の内金一〇万円を即日支払い。残金一〇〇万円は所有権移転登記と同時に支払うこと、登記手続は遅滞なく行うことを約した。

(二)  原告はその後再三残金一〇〇万円を提供して所有権移転登記を求めたが、右義三郎は猶予を乞ふてその手続をしないうち同年三月一日死亡し、同人の妻被告田中よし、子被告田中竜市、同田中竜蔵、同藤木千代子、同西山美恵子、同水上米が義三郎を相続し、同人の有した一切の権利、義務を承継した。

(三)  然るに本件土地につき、昭和三五年五月九日東京法務局練馬出張所受付第一四〇九八号を以って義三郎死亡の前日である同年二月二九日附贈与を原因として被告田中よしに対し所有権移転登記が為されている。

(四)  しかしながら義三郎とよしの間には贈与契約は存在しないことは明らかであり。かりに右贈与契約があつたとしても被告よしは、義三郎の相続人として義三郎の原告に対する本件土地売買契約上の義務を承継した者であり、原告に対し所有権取得登記の欠缺を主張することはできない。

(五)  よって、原告は本件土地につき、所有権に基づき被告田中よしに対し前記(三)記載の贈与による所有権移転登記の抹消を求めると共に義三郎の相続人たる被告らに対し売買契約に基づき金一〇〇万円と引かえに本件土地につき、昭和三五年一月一四日売買による所有権移転登記手続を求める。

被告ら(水上米を除く)の抗弁に対し被告らの主張の事実は否認すると述べ、かりに義三郎が金一〇万円を受領した事実があり、これが原告主張の売買契約の解約手附であり、手附契約に基づく被告ら主張の解除の意思表示が昭和三六年八月九日原告に到達したとしても、原告はすでに右売買契約の履行に着手していたから解除の効果は発生しない。即ち、原告は義三郎の在命中、同人に対して残金一〇〇万円を用意して、再三本件土地の所有権移転登記をなすよう催告しており、渋谷との和解の準備として、もと一〇〇坪の土地を本件土地の二筆に分筆する手続を代行したりした。同人死亡後、昭和三五年三月七日被告田中よしに対し登記に必要な書類を交付すれば何時でも金一〇〇万円を支払うことを告げ、右金員を準備していたし、同年五月には被告らの相続関係を証する戸籍上の書類を取り寄せた上、残代金を用意して同様の催告をなしその後も何回も督促したが、被告らが協力しなかったのであって、原告は已むなく被告よしに対する本件土地処分禁止の仮処分命令を得て昭和三六年七月三〇日これが登記を経過したのであって、その後に為された手附契約による解除はその効力がないはずである。と述べ

≪立証省略≫

被告ら(被告水上米を除く)訴訟代理人は原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張事実のうち田中義三郎が原告主張の日に死亡し、被告らが同人を相続したこと、本件土地につき原告主張の日に原告主張の如き贈与を原因とする登記が為されていることはいずれすこれを認めるが、その余の事実は否認する、と答え。抗弁としてかりに原告と義三郎との間に本件土地につき原告主張のような売買契約が成立したとしても、右売買契約に於て原告が義三郎に交付した金一〇万円は解約手附であり、義三郎の相続人たる被告よし、竜市、竜蔵、千代子、美恵子は、昭和三六年八月九日右手附金の倍額金二〇万円を原告に現実に提供して本件土地売買契約解除の意思表示をなしたところ、原告は右金員の受領を拒絶したので同月一二日東京法務局に右金員を弁済供託したからこれによって本件土地に対する義三郎原告間の売買契約は解除された。また、被告よしは夫義三郎から昭和三五年二月二九日本件土地の贈与をうけたが、義三郎と原告との間に売買契約の存したことを知らずして本件土地につき贈与による所有権移転登記を経由したものであって所有権取得の登記のない原告に対して、正当の利益を有する第三者として登記の欠缺を主張しうると述べ原告の再抗弁事実を否認すると答えた。≪立証省略≫

被告水上米は合式の呼出をうけながら本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しない。

理由

被告水上米は原告主張の事実を自白したものとみなす外なく右事実に基づく原告の右被告に対する請求は理由があるからこれを正当として認容する。

次に右被告を除くその余の被告ら五名は(以下被告ら五名と略す)先代義三郎と原告の間に於て昭和三五年一月一四日本件土地につき代金一一〇万円を以て売買契約が成立したとの原告の主張事実を否認するので按ずるに、≪証拠省略≫をそう合すれば、被告ら先代義三郎と原告との間に義三郎所有の本件土地一〇〇坪につき昭和三五年一月一四日代金一一〇万円と定めて売買契約の成立したこと、同時に手附として額面金一〇万円の小切手が義三郎に交付されたことが認められる。尤も被告らは右甲第一号証(手附領収証)の成立を争っていて、右書証は義三郎が、昭和三五年一月一四日渋谷熊吉に貸付の、上石神一丁目四一四番地の内一〇〇坪売買代金の手附金として(総代金一一〇万円の内)金一〇万円を領収したとして原告宛の領収書の体裁をなしているが、作成者田中義三郎の名下には指印があるにすぎないし右領収証の記載文字は義三郎本人によるものでなくて原告方事務員の筆跡であることは≪証拠省略≫によつても明らかであり、右書面が義三郎の作成にかかるものか否かにつき疑を容れる余地がなくはない。然しながら≪証拠省略≫によれば右一月一四日に原告から義三郎に額面一〇万円の小切手が交付されたことを明認し得られるのであってこの明らかな事実と原告本人尋問の結果、と右甲第一号証とをつき合はせて見れば、右書証の成立を肯定せざるを得ず、右認定に反する被告田中竜蔵尋問の結果は措信し得ないし、右小切手の交付につき右以外の原因関係の存在を認すべき何らの主張も反証もないのである。その上、右甲第一号証の成立を否定したとしてもその他の上記証拠上、右売買契約の成立を認定し得らるるのである、この事実を補強するため契約成立の経過を見ると≪証拠省略≫をそう合して認められる本件土地売買契約成立の経過は次のとおりである。本件土地一〇〇坪は、昭和一六年頃その所有者義三郎から渋谷熊吉が賃借していて、その地上に熊吉の子英子の名義で建物が存し、昭和三四年一二月には熊吉、渡辺昇の共有に登記されていたその家屋には熊吉の娘静江および夫の渡辺昇が居住しているのであるが、昭和三四年夏頃義三郎は本件土地を売却せんことを渋谷総一に申し出初めは一〇〇坪金一二五万円でとの話があり、後には五〇坪を熊吉に贈与し残り五〇坪は義三郎に返還することの条件で話し合っていたが未解決であったこと原告は右交渉の経過を知り熊吉側では義三郎の提案に応ずる見込があったので自ら一〇〇万円で本件土地を買いうけることを義三郎に申し込み、熊吉らと接衝に当っていたが義三郎は一二〇万円の代金を要求するので両者折合って代金は一一〇万円と定め、手附として小切手の授受がされたものである。右認定を覆すに足りる証拠は存せず、被告田中竜蔵本人尋問の結果によれば本件土地につき売買その他の交渉に当ったのは義三郎と原告とであって本件被告らは直接関係しなかったことが窺はれるのであって、当事者間に為された小切手の授受は売買契約の証的手附と見ることができる。

次に被告ら五名は仮定抗弁として小切手の授受は本件土地売買契約の手附であるとしても解約手附であり、被告ら五名は昭和三六年八月九日手附金の倍額二〇万円を原告に対し現実に提供して右売買契約解除の意思表示を為したといい、原告は右事実が認められてもその以前に売買契約の履行に着手したから解除の効果がないと主張するのでこの点につき判断する。

特別の意思表示のないかぎり右手附は解約手附と見るべきものであるところ証人安藤信一郎の証言と成立に争のない乙第三号証とをそう合すれば、同証人は被告ら五名の依頼により同人らを代理して昭和三六年八月九日原告方に金二〇万円を持参して原告不在のため原告の事務員にこれを呈示し本件土地売買契約を解除する旨の意思表示をなしたこと、翌日原告が右金員の受領を拒絶する意思を明らかにしたので同月一三日弁済の供託をなしたことを認めることができる。これに対し原告はすでに売買契約の履行に着手したと主張する。原告本人尋問の結果およびこれによって真正に成立したものと認められる甲第二、第三号証によれば原告において本件土地がもと一〇〇坪一筆であったものを昭和三五年二月に五〇坪二筆の本件土地に分筆の手続をなしたこと同年五月頃には被告らの相続関係を証する戸籍謄本などを調えたこと、被告田中よしに対し同年三月頃書類を持参すれば金を渡す旨告げたことなどを認めることができ右認定に反する被告田中よし、同田中竜蔵の証言は信用し難い。然しながら買主が代金債務の履行に着手したというには、履行期の到来後に代金を現金又は小切手などを具体的に用意してこれと引かえに履行の催告をなすことが必要であると解されるところ本件売買契約の履行期の定めは必ずしも明らかでなく(義三郎と渋谷間の本件土地についての紛争が未解決であったことは前示のとおりであってこの問題の解決と履行期とが関連を有するものと認められこの点についての原告本人尋問の結果はたやすく信用できぬ。)原告に於て代金一〇〇万円を具体的に用意したとの証拠は勿論、これを客観的に認識しうる何らの資料も存しないのであって、単に口頭による催告が前示認定の程度に存したことが認められるにすぎないし、原告が本件土地の分筆手続を為したことは、原告が先に認定したように義三郎と渋谷ら(被告らと渋谷ら)との間の紛争解決を義三郎から依頼されていたため、この紛争解決のための行為として為したものと見ることができるし、被告らの便宜のため戸籍書類を調えたことがあっても、買主たる原告の為すべき、主要な履行行為である代金の支払のため金一〇〇万円の用意が為されたことを認定し得ない以上、原告が本件土地売買契約の履行に着手したということができない。以上の次第であって、原告と義三郎間には本件土地売買契約の成立したことは認められるが被告ら五名が証人安藤信一郎を代理人として金二〇万円の手附金倍額を現実に提供して昭和三六年八月九日原告に対して為した右売買契約解除の意思表示はその効力があり、これによって原告主張の売買契約は解除されたものというべきである。

従って、原告が右売買契約若しくはこれによる本件土地所有権取得を理由として被告田中よしに対し登記抹消又は被告ら五名に対し移転登記を求める本訴請求はその余の主張事実の判断をまつことなく理由がないから失当としてこれを棄却することとする。よって、訴訟費用については、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 荒木大任)

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